Copyright (C) 2011 yoso takasugi All Rights Reserved.   2011.sep.26 by yoso takasugi


  銅像という切り口でお城を語ってみたいと思う。

 お城に訪れた際に気づいたひともいるだろうが、なにかと銅像がたっている。もちろんそのお城の創始者だったりゆかりの戦国武将だったりするとわかり易いのだが一概にそうとは限らない。
 私自身そんな統計などとったこともないが、ざっと印象でいくと次のように大別できるのではないだろうか?

1.お城の創始者またはゆかりの戦国武将
2.地元の偉人
3.その他

 きっとその時々の理由でそれらの銅像が建てられることに決まったのだろうが、単純に割り切れないような選定も少なからず存在する。ある意味なんでもありだったんだろうなという気もする。


<お城の創始者またはゆかりのある戦国武将のケース>
 もっともわかり易く、且つもっとも順当なケースがこれだ。ここで銅像の出来なども考慮に入れその代表として紹介したいのが仙台城の伊達政宗像だ。 
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 伊達政宗公に関してはなぜ建てられたという理由については今更述べる必要もないくらいだ。仙台伊達藩の藩祖にしてこの仙台城の築城者であるため、ここに建てられるのに彼以上にふさわしい人などはいない。また一見して分かるように、この銅像の出来も相当いい。銅像のなかではかなりお気に入りだ。

 他にも築城者というくくりで探すと、熊本城の加藤清正像や、高知城の山内一豊像などが当てはまると思う。一方微妙だなと思うのが天下人たちの扱いだ。

 織田信長像などはいたるところにあり岐阜城ふもとの若かりし像や、岐阜駅の金ぴかの像や清洲公園の像、桶狭間の像、安土駅前の像など枚挙にいとまがない。各地元がその名声にあやかりたいということなのだろうが、その大量生産ぶりには少々消化不良ぎみの感もありだ。
 豊臣秀吉なども各地にあるがなんと言っても大阪城内にある豊国神社の銅像がもっとも威厳に満ちていると思う。ただ秀吉の建てた大阪城は徳川家康によって消滅してしまったが、それでも尚且つその徳川大阪城のうえに秀吉像があるということに意義があると思う。
 また徳川家康なども誰にも負けないくらい多く存在する。岡崎城、浜松城、駿府城などなど。恐らく私が知らないような銅像も無数に存在しているに違いない。
 逆に彼らぐらいメジャーになると銅像の由来をおっても当たり前すぎて面白くない。
 
 さて、ゆかりのある戦国武将たちとなると徐々に面白くなってくる。
 名古屋城を見てみれば巨石に乗って扇を振る加藤清正像がある。お城に興味がなく且つ予備知識もない人が見たらきっと彼がこの名古屋城を築城したと思うに違いない。確かに天下普請で築城の一端を担っているからには「築城者」と言ってもよいかもしれないが、人気武将にあやかって…という気がしないでもない。初代藩主である徳川義直ではパンチに欠けるというのが十分に説得力があるかなとは思うが。

 高知城では山内一豊像の脇に正妻の千代の像が建っている。女人像ということで異例だが、司馬遼太郎原作の「功名が辻」において有名にもなったからというのも容易に想像がつく。

 府内城においては築城者ではない大友宗麟像が建っている。近世城郭築城"前"の支配者であったにもかかわらずそれでも大友宗麟こそがこの地に建てられるのにふさわしいと判断されたに違いない。やはり戦国時代に活躍した人間が人気があるのだ。

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 そして月山富田城といえば中国地方山陰における戦国時代最大の城郭だが、ここにはなかなか面白い像がある。
 山中鹿介像だ。
 月山富田城と言えば、戦国時代前半中国地方に覇をとなえた尼子家の居城であり尼子経久の時代にいたっては山陽山陰の十一州を支配に治めたという勢力をほこった家門だ。にもかかわらずここには尼子宗家の像ではなくその一門である鹿介の像が建てられているのだ。

 確かにそれもわかる。講談において「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったなどという逸話は民衆受けがよいだろうし、山陽から来た毛利に滅ぼされた尼子家の再興に奮闘する姿は地元愛を掻き立てずにはいられないだろう。しかも美男だっということもあり、人気があって当たり前というところなのかもしれない。

 以上のケースを見ていると銅像を建てられる選定基準とは一体なんだろうと非常に興味をそそられる。お城と歴史と地元愛とその他なにかの隠し味が一緒になって、まさにふさわしいという銅像が建てられるに違いない。そうなるとお城で出くわす銅像達に対し、その歴史背景に思いをはせないわけにはいかなくなるのだ。



<地元の偉人のケース>
 よく見かけるのが近代日本の政治家というケース。
 日本近代のデモクラシーを強く唱えた板垣退助は高知城のもっとも目立つところにたっている。また戦後の総理大臣像も地元の偉人と言ってよいだろうし、広島城には内堀と合同庁舎の間に地元出身の内閣総理大臣になった池田隼人の像が建っている。
 そして文化人ということで行けば大分県の岡城には「荒城の月」の作曲で有名な滝廉太郎像がある。

 はっきり言ってこの人たちと城との関係は薄い。ただ何故建てられたかと推測すれば、恐らく多くは街の中心に位置し多くの衆目にとまり易く地元の偉人をアピールするにはちょうどよいとの理由ではなかったか。
 銅像とは一体なんだろうかと本質的なところにも立ち返って考えてしまいそうだ。
 城にはほとんど興味のなさそうなこと話をしていた際、「銅像って街のアイドルね」なる発言をしていた。ちょっと(だいぶ)軽すぎる表現だが現代っこ的に言えばそんなに遠くはないのかもしれない。



<その他のケース>
 最後にその他で紹介したい日本でもっとも立派な銅像がある。
皇居外苑に建つ楠木正成像だ。これはもう圧倒的に出来がいい!
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 その他というカテゴリにしたのには、この男、江戸城にしても皇居にしてもなんの縁もゆかりもないからだ。
 時代としては鎌倉時代末期、まさに鎌倉幕府打倒及び後醍醐天皇にその一生を捧げたという経歴をもつ。
 
 生地は河内国、つまり今の大阪にあたるのだが、そこで悪党と呼ばれる一族の棟梁であったとされる。
 もちろん悪党と言っても悪事をはたらく集団のことではなく、日本史上での中世存続した支配体系へ対抗した者・階層という程度の意味だ。

 はじめここに楠木正成像があると聞き「?」という思いだったが、すぐに謎が解ける思いがした。
 明治の政治家たちはあらん限りの知恵を振り絞り、このできあがったばかりの新政府をもりたてていこうしたと思うと涙ぐんでしまいそうだ。

 この楠木正成という男、不屈の闘志をもつ後醍醐天皇の倒幕の狼煙にのっかり1331年反鎌倉幕府で挙兵する。特に千早城での幕府の大軍を相手に籠城のすえ、ありとあらゆる手を使い撃退したことで彼の兵法家としての名を高めることとなる。1333年ついには足利尊氏、新田義貞といった旧有力御家人らの手によって鎌倉幕府は滅亡する。歴史上有名な建武の親政の始まりだ。
 そのまま功労者として朝廷内での地位を占めそうだが、歴史は彼にそんな上等な椅子は用意しなかった。
後醍醐天皇の独裁により急速に人心を失ってゆく建武朝廷に独自の武家政権をうちたてようと足利尊氏が反旗を翻したのだ。
 一旦は京から足利方を追い払ったが九州で軍勢を整えて再び京都へ迫られると、正成は後醍醐天皇に新田義貞を切り捨てて尊氏と和睦するよう進言するがこれは容認されず、次善の策の京都からの一時撤退も却下されてしまう。ついには新田義貞の麾下で出陣し湊川の戦いで足利方大軍に破れ自刃して果てた。

 さてここまで書くとおわかりいただけただろうが、彼はすこぶる天皇家に対する忠臣としてふるまっている。明治時代及びその後の皇国史観において「忠臣の鑑」「日本人の鑑」と祭り上げられたのも容易に想像がつく。
 明治時代、皇居に銅像を建てようとする計画が持ち上がった。当初神武天皇の騎馬像が候補にあがったらしいが、明治天皇の「列国の国賓が訪れる際、皇祖から見下ろすような形になり失礼にはあたらないか?」という主旨のお言葉のため再考になったという。

 そこで白羽の矢がたったのがこの楠木正成像だ。
 まさに絶妙な選定だ。天皇家を守護する屈強な武士(もののふ)という意味合いで、且つ天皇家の人間でもないため外国に対しても妙な詮索もされず刺激を与えずに済む。
 当然この皇居(江戸城)の築城者である徳川家康なんて建てれるはずなどないのだから、何かしら意味があって、しかもゆかりもないようなこの男がよかったのだ。
 う~ん、まさに明治政府の知恵者がやったんだろうなという想像を勝手に膨らませてとても嬉しい。
masashige2  ちなみにこの銅像、明治30年有名な彫刻家高村光雲が中心となって製作されたもので、別子銅山の開山200年記念として宮内庁に住友財閥が献納したもの。 
 この躍動感!この精緻さ!う~ん他の銅像の追随を許さないほどの出来だ。正直これほどの出来を見せ付けられると銅像そのものに興味が湧きいろんな銅像と見比べたくなってくる。

 普通近世城郭と言えば戦国時代の人物が脚光をあびるが、皇居という切り口で鎌倉末期の武士に注目しようとは私本人も思ってもみなかった。
 でも歴史とは繋がっているのだからこういう人物がでても当然かもしれない。気持ちも高揚して叫びたくなってくる、美しきもののふ、そしてお城に幸あれ!

 
                                                                              お城のはなし

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